たすきlog

リールで100万再生を目指す大学生のつれづれ日記

家族のありかた

家族について。

ウンウン唸って1週間。

悩んでも終わらないので手を動かそう。

家族の定義

まず「家族」の意味を確認してみる。

「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた近親者を含む生活共同体。(後略)」『精選版 日本国語大辞典

ここから、家族には大きく二つの在り方があると読み取れます。

 

一つ目は血縁や婚姻により作られる親族としての家族

二つ目は生活共同体としての家族

 

今回はこの二つの家族について今私が思うことをダラダラと書いていくブログです。

 

親族としての家族

一般的な家族の定義はこれ。

 

一口に親族といっても二つの作られ方があるので、ここも分けて書いていきます。

 

①婚姻により生まれる後天的な家族

②自分と共通するDNAを持つ家族

 

婚姻により生まれる家族

この家族の多くは恋愛の先にあり、自分で相手を選んで作るもの。

 

自分で開拓していかないと始まらない、主体性が求められるものだと思います。

 

そもそも結婚する?相手は誰?どこに住む?子供は?親の老後の面倒は?など決めることが山ほどある。

 

自由度は高く、人生を自分でクリエイトしてる達成感や喜びはすごくありそうだけど、全ての選択に相手や子供の命が関わっていくので、背負うものがとても大きい。

 

なんといっても、育った環境も抱える思考も構成するDNAも全く異なる人が、ある日突然同じ家に住み運命共同体になるという不思議。

 

お互いにとって心地よい家庭を築くために、異なる価値観を認め、ある程度譲り合い、気遣う姿勢が大事だし、相手の親とも良好な関係を目指すべき(これが中々難しいのだろうけど)だと思う。

 

なんか何億光年も先の遠い話をしているかのようでこの項目は書きづらいなあ。難しいなあ!

 

同じDNAを継ぐ家族

私が一番大事にしている人はこの意味での家族。

 

温かな家庭!と自信たっぷり言えるほどではないし、夕食は驚くほどシーンとして早食い競争みたいになってるけど、毎日家族全員で食べるのが当たり前の日常。

 

外に出られない祖母の家には2週に1回、買い出しついでに母と顔を出して。

 

こういった当たり前の日常は、できれば失う前に有難さに気付いて大事にしたいものです。

 

血縁のある家族は実家暮らしだとあまりにも身近で表現しずらい存在。

 

でも自分が生きてこられたのは間違いなく、いつも絶対的な味方でいて応援してくれる家族のおかげだから、そんな家族がいるのは当たり前ではないから、常に感謝を忘れないように生きる。

 

一つ前のブログにも書いたように、自分が今生きているのは色んな奇跡の連続だと思います。人間に生まれたことも、この肉体を持ってこの家庭に生まれたことも。

 

超絶リッチ家庭のイケメンエリート御曹司…に生まれた訳ではないけど、外から見た家庭の実情や、本人の認識は分からないもの。今の環境は私にとってとても心地よいし幸せ。

 

もし、自分が家庭を持つなら仲の良し悪しより居心地のいい家にするのが理想だな。

 

③家族/友人/恋人の順位

これらの優先順位を付けるなら、

 

今は家族>恋人>友人。

 

今書いてて思ったけど、私は恋人≧家族になってきたときに始めて結婚が見えてくるような気がする。

 

一般的にはどうなんだろうな、また周りの人に聞いてみようかな。

生活共同体としての家族

先ほどまでの戸籍に基づく家族ではなく、生活共同体としての家族。

 

生活共同体の意味を改めて確認しておきます。

「家族や村落のように、その成員が生活様式、生活の基盤などを共有する集団のこと。」『デジタル大辞泉

この場合の家族に血縁関係は必要ない。シェアハウスに住むならメンバーは家族だろうし、弥生時代のムラは一つのムラで家族。

 

結婚しない・子供を生まない選択が浸透している中で、核家族化が進んでいく中で、家族というのが結婚や血縁によってのみ形成されるなら、人々はどんどん孤独になる気がします。

 

そしてデジタル世界に時間を割く人も増えているから、人とのつながりや温かみを感じる瞬間は確実に減っている。

 

だからこそこれからは、シェアハウスだったり旅行先のゲストハウスでの交流だったりという「家族2」的な場所が再評価される気がするし、「ムラ」のような生活共同体という意味での家族も増えるんじゃないかなと思います。

まとめ

自分の存在を誰かが認めてくれていると実感できる、心と体の居場所という意味で家族の存在は貴重なもの。

 

何書いたらいいかわからずダラダラ長くなってしまったけど、今考えてることを色々書いてみました。