たすきlog

リールで100万再生を目指す大学生のつれづれ日記

恋愛は和歌から学ぶ

今回は恋愛のテーマ。

 

せっかく恋愛について書くんなら、ドキッと、ワクワクしたいなーと!

 

ということで今日は私がいいなーっと思う恋愛模様「和歌」から選んで書いてみようと思います。

 

 

ついにブログに和歌を書く時が来たぁあああ!

 

どうしても!どうしても恋愛といえば古典なんですよ、私は・・・

 

このテンションで書くので私の想像がかなり入り込んで歌の本意から逸れていくこと間違いなし。はい、御察しの通り夜中です。

 

歌のざっくり現代意訳も一応書いてますが、超超関西風のびっくり意訳なので本来の意味が気になったら普通の現代語訳を調べてください。笑

 

「しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで」平兼盛

私が恋愛系の歌で一番に思いつく歌。好きな歌!

 

百人一首に採られているので、聞いたことある人も多いんじゃないでしょうか。

歌の超解釈👇

好きな子おるって気付かれんように隠しとったはずやのに思いっきし顔に出てたみたいや・・・

おまけに「最近どうしたん😏?」って聞かれたくらいやしもうバレバレや。

気付かれないように頑張って隠してた👈かわいい

顔に出ちゃう👈かわいい

恋してんちゃん?どしたん?話きこか?ってツッコむ人👈ナイスぅ!

 

女の人はこういうこと言いそうですが、歌を詠んでるのは平兼盛=男です。

 

男の人にこんだけ思われて始まる恋っていいよなぁー!

 

韓国ドラマばりの、少女マンガなみの純粋な恋の始まり。良すぎるっっ

 

日々のこと何でも歌にする平安時代なら当たり前なのかもだけど、この一連の流れを歌にして残しちゃうってのが完全に恋愛脳な感じでいい。

 

古典のこういう世界が好きなんだった。

 

久しぶり、古典。君って最高だね。

 

冷めることを言うと、これは歌合という歌よみ大会で詠まれたものなので本当に恋愛してる中での歌ではありません…夢のような恋愛はどこまでもフィクションか😵‍💫泣

「こころみにおのが心もこころみむ いざ都へと来て誘ひみよ」和泉式部

次に挙げたのは恋多き和歌の達人、和泉式部の歌。

 

和泉式部日記」は自分と敦道親王(正妻持ち)との恋愛(不倫)を描いたもの。

 

不倫という時点で理想の恋愛からは外れていますが、不倫であることは一旦忘れて歌を見ていきましょう。

 

歌の背景:二人は一応結ばれたものの、色々あって滋賀の石山寺に籠り始めた和泉式部。それを嘆く親王が早く都に帰ってきてほしいと歌を送り、それからずっと文通中。

歌の超解釈👇

石山寺籠りへの私の決意がどんだけのもんか試してみる?

そっちも本気で帰ってきてほしいと思ってるなら「一緒に京都帰ろ」って直接誘いに来て試してよ。

結ばれた相手とはいえ本来なら身分も釣り合ってない禁断の恋、まして天皇の息子なので下手なことは言えないはずなんですが・・・

 

なんと、「文だけじゃなく行動で示してよ」「そっちが来てよ」という強気さ!

 

平安女子の恋愛は基本「黙って待つ」「嘆いて死ぬ」なのに、そういう常識をもぶっ壊し己の道を進む和泉式部です。最高ですね。

 

当時、親王クラスの人物が動くとなれば宮中に噂が立ちます。さらにそれが女性のためとなれば阿鼻叫喚の嵐が巻き起こるはずで、親王石山寺に行くのは現実的ではありません。

 

それも分かった上で、「絶対来れないくせに口だけはその気にさせるよね🥲」と皮肉ってるわけです。(ここはかなり解釈ですが)ツンデレすぎる!くぅーーーー!

 

石山寺に籠り始めた一つの理由は世間の噂と陰口に嫌気がさしたからなので彼女の本質はそこまで強くないと思うのですが、紡ぐ言葉はまあ強い。

 

恋愛においても、何においても、このくらい強気にグイグイ相手を引っ張れる女性に憧れます。

 

言葉のうまさ、タフさ、ツンデレ感。そりゃモテるわ。現代でもモテる。

 

そしてこの歌を読んだ彼の反応もまた良くてですね、「彼女に内緒でガチで石山寺行ったろかな・・・」(意訳)と。

 

立場親王ですよ!???軽率に恋案件。

 

「行けるわけないやーん😂」と茶化したり「いやいや、それは無理っしょ。」と冷静になったり、親王じゃなくても大体の男性の反応はこっちじゃないでしょうか?知らんけどw

 

和泉式部カップルの相思相愛感がまぶしいです。いいなぁ。お似合いや。

 

その後はというと、和泉式部が自ら早々に都に帰り、彼に「いやあっさり帰ってくるんかい!ほんまに滋賀行こう思てたのに早いわ!なんやねん😂」って言われて一段落します。

 

 

色々と書いてきましたが、和泉式部の恋愛から私が憧れるのは…

 

①「女性は恋愛においてこうあるべき」の枠にとらわれないタフさ

②相思相愛

③会話のキャッチボールが早くスムーズ

④正直な気持ちを言葉にして伝える姿勢

⑤ちょっと言いにくいことも軽く言えちゃう関係性

⑥そこまで周りを気にせず恋に没頭しちゃってる感

 

紹介した和歌は2首に留まりましたが長くなったので今日は終わりたいと思います😄

 

いつになく感情の乗ったブログな気がしますね。なんか今更恥ずかしいwww

 

意訳&解釈でもはや歌も別物級になってますが、とっつきにくい古典を身近に感じてもらえてたら嬉しいです。

ありがとうございました。

友達との付き合い方

今回は、友達に関する二つのお題について書いていこうと思います。

 

①友達は多い方が良いのか?

②自分が変われば友達も変わる

 

友達は多い方が良いのか

これは中学くらいの時に私が悩んでいたこと。今でもたまに考えることです。

 

振り返ってみれば私は友達は多くはないけど超少ない訳でもない、といった感じですが、当時の私は友達が少なすぎると思い込んでいて、友達の多いクラスメイトに密かに憧れていました。

 

小学館の記事に、「友達は多い方が良いのか」について110人にアンケートを取ったところ、約7割が多い方が良いと答えたとありました。

【100人に聞いた】友達は多い方が良い?少ない方が良い? | Domani

 

母数が少ないアンケートではあるものの、一般的に、友達は多い方がよいと捉えられていることがわかります。

 

友達が多いと遊ぶ機会も多く、楽しそうで充実した毎日を送っている印象があります。

 

さらに、コミュ力がある/話術に長けている…といった長所まで連想させる。

 

その反面、友達が少ないというのはネガティブに捉えられがちです。

 

少し調べただけでもコミュ力に乏しい/プライドが高い/愛想がない/陰キャ/根暗/性悪・・・悪いイメージがまとわりつきます。

 

陽キャ陰キャ」「多い・少ない」と対義語で表されたらそりゃもちろん「陰/少ない」が悪そうに見えますが、友達が少ないという事実はそんなに悪いことばかりではないと私は思います。

 

人とは付き合わない、人間は嫌いと断固拒否するのは行きすぎですが、限られた友達と深い信頼関係を結んだり、一人時間を充実させて楽しんだり、自分の個性を理解して人と違う道を突き進んだり、これらは誰にでもできることではありません。

 

毎日人に囲まれすぎて余裕を失い、自分を見失うほどであれば友人関係は控えめに、自分を見つめなおしたり物事を深く考えてみたり、日々をゆったり楽しむのも素敵な生き方。

 

今はSNSがあるので他人の情報がすぐ手に入ります。

 

自分に合った友達との付き合い方に納得していても、友達の多い人が毎日のように飲み会したり、お泊りしたりと楽しそうなのを見ると、つい比べてしまってもやもやしてしまう。

 

そんな時はSNSから少し離れるのがいいんじゃないかと。私もそうしています。

 

色々書きましたが、そうは言ってもやはり日常を楽しそうに過ごす人達のコミュ力などには尊敬すべきところがたくさんあって。

 

誰にでも分け隔てなく笑顔で接し、特別仲良かった訳でもない私によく挨拶をくれた中高時代のクラスメイトの姿は未だに心に残っていて、見習おうと思っています。

自分が変われば友達も…

①環境が変われば友達が変わる(ちょい脱線)

小学校、中、高、大、会社、と所属する場所が変わるごとに友達はある程度リセットされるもの。

 

学校ならクラスや部活、会社なら勤務地や社内サークルによっても付き合う人間関係は変わってきます。

 

よほど仲の良い友達であれば環境が変わっても付き合い続けますが、多くの「友達」と呼べる人は入れ替わりが激しい。

 

そんな流動的な存在とはいえ、その時その時いる友達の存在は大きく、自分の行動にものすごく影響します。

 

めちゃくちゃ綺麗な字を書く友達によくノートを見せてもらっていると自分も綺麗な字を意識してみたくなったり、

 

行動力のずば抜けた友達とよく遊んでいると、元は優柔不断なはずなのに物事をスパスパと決断できるようになっていたり、

 

親に言われても全然響かないのに周りの友達が結婚し始めるのを見て突然焦り始めたり。

 

親に言われて、というのは納得いかないこともありますが友達の影響で、というのはなぜかスッと腑に落ちて気が付くと自ら取り入れている。

 

これは友達が自分との共通点をどこかに持っていて共感できる存在であり、親よりも距離が遠いおかげで客観的に見ることができるからだと思います。

 

だからこそ、お互いを成長させあい、学び合う存在になれる。

 

もし友達との別れが起こっても、自分の成長に合わせて友達は変わる流動的なもの、お互いが感じるべき刺激や学ぶべきことを吸収し終えたんだと捉えて前を向けるといいなと思います。(ちょっと脱線しちゃった)

 

②自分が変われば友達も変わる

全く同じ人でも視点を変えたり自分を変えたりすると、その人に対する認識は変わります。

 

例としては、中学の時は同じクラスでも話したことなかったけど、同じ高校に上がったら共通点から突然仲良くなったとか、

 

地味で話しかけにくい陰キャヲタクと決めつけてたけど、話してみたら実は同じゲームにハマってて死ぬほど詳しくて、裏技攻略法を教えてもらってたら仲良くなって最高のゲーム仲間に変化したとか。

 

それだけでなく、自分が変わることで相手がびっくりするほど変わることもあります。

 

例がうまく言えないけど、自慢や悪口が鼻につく相手だったけど、自分が成功者や有名人になると態度が別人のように変わって協力的になり、意外と強力な助っ人になってくれたみたいな。

 

相手を変わるのを期待したり無理やり変えようとするより、自分を変えたら相手が変わること。第一印象に囚われすぎないこと。私が大事にしていきたいと思う考え方です。

 

 

締めが思いつかず、まとまりが悪いので最後にウィリアム・ジェームズの名言を。

 

「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」

 

今日も長々とありがとうございました。

家族のありかた

家族について。

ウンウン唸って1週間。

悩んでも終わらないので手を動かそう。

家族の定義

まず「家族」の意味を確認してみる。

「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた近親者を含む生活共同体。(後略)」『精選版 日本国語大辞典

ここから、家族には大きく二つの在り方があると読み取れます。

 

一つ目は血縁や婚姻により作られる親族としての家族

二つ目は生活共同体としての家族

 

今回はこの二つの家族について今私が思うことをダラダラと書いていくブログです。

 

親族としての家族

一般的な家族の定義はこれ。

 

一口に親族といっても二つの作られ方があるので、ここも分けて書いていきます。

 

①婚姻により生まれる後天的な家族

②自分と共通するDNAを持つ家族

 

婚姻により生まれる家族

この家族の多くは恋愛の先にあり、自分で相手を選んで作るもの。

 

自分で開拓していかないと始まらない、主体性が求められるものだと思います。

 

そもそも結婚する?相手は誰?どこに住む?子供は?親の老後の面倒は?など決めることが山ほどある。

 

自由度は高く、人生を自分でクリエイトしてる達成感や喜びはすごくありそうだけど、全ての選択に相手や子供の命が関わっていくので、背負うものがとても大きい。

 

なんといっても、育った環境も抱える思考も構成するDNAも全く異なる人が、ある日突然同じ家に住み運命共同体になるという不思議。

 

お互いにとって心地よい家庭を築くために、異なる価値観を認め、ある程度譲り合い、気遣う姿勢が大事だし、相手の親とも良好な関係を目指すべき(これが中々難しいのだろうけど)だと思う。

 

なんか何億光年も先の遠い話をしているかのようでこの項目は書きづらいなあ。難しいなあ!

 

同じDNAを継ぐ家族

私が一番大事にしている人はこの意味での家族。

 

温かな家庭!と自信たっぷり言えるほどではないし、夕食は驚くほどシーンとして早食い競争みたいになってるけど、毎日家族全員で食べるのが当たり前の日常。

 

外に出られない祖母の家には2週に1回、買い出しついでに母と顔を出して。

 

こういった当たり前の日常は、できれば失う前に有難さに気付いて大事にしたいものです。

 

血縁のある家族は実家暮らしだとあまりにも身近で表現しずらい存在。

 

でも自分が生きてこられたのは間違いなく、いつも絶対的な味方でいて応援してくれる家族のおかげだから、そんな家族がいるのは当たり前ではないから、常に感謝を忘れないように生きる。

 

一つ前のブログにも書いたように、自分が今生きているのは色んな奇跡の連続だと思います。人間に生まれたことも、この肉体を持ってこの家庭に生まれたことも。

 

超絶リッチ家庭のイケメンエリート御曹司…に生まれた訳ではないけど、外から見た家庭の実情や、本人の認識は分からないもの。今の環境は私にとってとても心地よいし幸せ。

 

もし、自分が家庭を持つなら仲の良し悪しより居心地のいい家にするのが理想だな。

 

③家族/友人/恋人の順位

これらの優先順位を付けるなら、

 

今は家族>恋人>友人。

 

今書いてて思ったけど、私は恋人≧家族になってきたときに始めて結婚が見えてくるような気がする。

 

一般的にはどうなんだろうな、また周りの人に聞いてみようかな。

生活共同体としての家族

先ほどまでの戸籍に基づく家族ではなく、生活共同体としての家族。

 

生活共同体の意味を改めて確認しておきます。

「家族や村落のように、その成員が生活様式、生活の基盤などを共有する集団のこと。」『デジタル大辞泉

この場合の家族に血縁関係は必要ない。シェアハウスに住むならメンバーは家族だろうし、弥生時代のムラは一つのムラで家族。

 

結婚しない・子供を生まない選択が浸透している中で、核家族化が進んでいく中で、家族というのが結婚や血縁によってのみ形成されるなら、人々はどんどん孤独になる気がします。

 

そしてデジタル世界に時間を割く人も増えているから、人とのつながりや温かみを感じる瞬間は確実に減っている。

 

だからこそこれからは、シェアハウスだったり旅行先のゲストハウスでの交流だったりという「家族2」的な場所が再評価される気がするし、「ムラ」のような生活共同体という意味での家族も増えるんじゃないかなと思います。

まとめ

自分の存在を誰かが認めてくれていると実感できる、心と体の居場所という意味で家族の存在は貴重なもの。

 

何書いたらいいかわからずダラダラ長くなってしまったけど、今考えてることを色々書いてみました。

ブドウも私もいい人生

今回のテーマは「いい人生とは」

 

私にとってのいい人生は、

自分の持つものを最大限活かして、自分も含めた多くの人の心を動かす人生。

 

もちろん、ポジティブな方向に。


 

いい人生について語る前に一つ、夢の話をさせてください🌚

 

これは寝てる時に見る方の…ぶどうになる夢です。笑

 

この夢は小学校低学年かそのくらいに見た、覚えている中で一番昔の夢。

 

真面目に読むと内容薄くてアホらしいので絵本だと思ってサラッと読んでください。

 

じゃあ夢の内容を⬇️

私は一番美味しい状態のぶどう。

 

今、満を持して市場に並べられている。

 

同じように育ったぶどうが横にもたくさん並んでいて、みんな自分を目に留めてもらえるのを待っていた。

 

今日は店にお客さんが何人かやってきた。でも近くにある他のぶどうを買っていってしまった。

 

不思議と羨ましい気持ちはないけれど、このまま売れなかったらどうしよう…と不安な気持ちで眠った。

 

次の日。

 

一番美味しい間に食べてもらいたい!という思いで昨日より気合いが入る。

 

とはいえ体が動かせなくて表現できないから、来た人を見つめてアピールしたり、念を送ってみたり、自分に出来る範囲のことをする(笑)

 

すると、一人のおじさんが「いいねぇ~これ。おいしそうやねぇ~」と言って買っていってくれた。

 

他にもぶどうはあったのに、自分を選んでくれたことが嬉しかった。

 

持ち帰り用の袋の中で揺られながら、帰宅後を考えてワクワクした。

 

家に帰るとおじさんには家族がいて、夕食時にお披露目。

 

みんな目を輝かせながら美味しいと嬉しそうに食べてくれて、本当に心の底から幸せを感じた。

 

私が存在したことで誰かを嬉しい気持ちにさせられて、ぶどうとしての役目は十分に果たせた気がした。

 

そしてその後は胃や腸を通り消化され、水道管の中を流れ、川の水となり、海の一部になって、ぶどうとしての意識を徐々に失って、目覚めた。

ぶどうの一生を経験する面白い夢でした🍇

 

胃の中、腸の中とちゃんと体内を通って分解されていく夢でリアルだったので、もしかしたら私の前世にぶどうだった頃があるのかも…笑

 

小さい頃はただオモロい夢😂と捉えていましたが、大きくなってからこの夢の深さをいろんな面で感じるようになりました。

 

もし一歩違えば今世はぶどうとして生きたかもしれなくて、人間として生まれたのは偶然かもしれない。

 

人間として生まれることが決まっていたとしても、持って生まれた体、生まれた国、性質や特技の芽は人それぞれです👪

 

生きている間に整形したり、海外に引っ越したり、努力によって変えられる面もたくさんあるけれど、他の誰かにそっくり変わることはできないし、突然ぶどうになることもない。

 

全ての命はこの世にたった一つしかない組み合わせ。今自分がこの環境で生きていることは様々な奇跡の連続だと思います。

 

しかも私は運良く五体満足で、文明を持った人間として生まれ、日本という豊かな国で育ち、人類の中でも恵まれた環境にいる。

 

せっかく自由に生きるいいチャンスを得られたのだから、この貴重な機会を無駄にせず、私にしかできない仕事を通して少しでも人に感動を与えられるような人生を送って、この奇跡に感謝したい。

 

自分という人間を経験できて良かったなと思えるように、私にできる最大限の事を成し遂げられるように、今世を最大限楽しむために、チャレンジを忘れない人生にしたいです。

 

そして死ぬときは私という人間に生まれて良かった、やりきった、何より楽しかった!と幸せに浸ろう。

 

「自分の持つものを最大限活かして、自分も含めた多くの人の心を動かす人生」

 

これが私の思ういい人生。

Aviciiと北欧への夢🇸🇪

好きな音楽について。

 

洋楽/JPOP/KPOP/ラップ/ボカロ…
それぞれのジャンルで一組はハマったアーティストがいますが、

 

今日は私が人生で一番ハマったアーティスト、Aviciiの話をします。

 

熱くなっちゃっていつもより長めです。笑

 

Aviciiと中高生時代

Aviciiはアヴィーチーと読み、スウェーデン出身の音楽プロデューサー/DJ。

 

この間までTiktokで少し流行っていたカマキリダンスの原曲を作った人です。

 

Aviciiの曲を知るきっかけはMステを見ていた時で、当時三代目 J SOUL BROTHERSにハマっていたのでよく見ていました。

 

そこで番組のダンシングタモリのBGMとして数十秒流れていた曲に一瞬で惹かれ検索。

 

その頃まだ音声検索の質が悪く全然ヒットせず、放送で流れる度に検索を繰り返し、「Wake Me Up」という曲に辿り着きました。もうこの曲だけは何度も聞きました。

 

ここから2年程でAviciiは亡くなります。彼が生きている間にもっと他の曲も聞いておけば…と後悔して色々聞いているうち、気付けば沼の中でした😶‍🌫️

 

一番よく聞いていたのは高校の頃です🎧

 

登校する電車の中で聞いて、休み時間も昼休みも下校中も聞いて、塾前・帰宅後はライブ映像を見て、カッコよすぎる背中に憧れて。

 

勉強で挫折しそうな時も、辛い時も、音楽を聞くと少しポジティブになれる。頑張りたい時はその情熱にもっと火がつく。

そうやってたくさんエネルギーをもらってきました。

 

死ぬほど聞いて飽きるほど聞いて、音楽に溶け込む感覚を味わって、音楽の楽しみ方がどこか変わった気もします。

 

私の青春はAviciiの音楽とともにあったと言っても過言では無いです。

 

Aviciiに限らず高校時代は音楽を聞きまくっていましたが、あんなに音楽に囲まれた生活をした期間は他にないなぁと思います。

私が思う曲の特徴

Aviciiの曲は「成功者」になったからこそ感じた苦しみや孤独を描いたり、恋愛的な愛・家族愛の尊さを伝えたりと歌詞に人間味があり、哲学的で深いです。

 

曲自体も、EDMのイメージにありがちなテンションを上げるだけの消費的な機械音楽ではなく、アップテンポなのにどこか切なさ儚さがあります。

 

さらに、世界や人間に愛を持ち、こだわり抜いて曲を作るカッコよさ、作り出す音楽と同じくらい自分の内面にも本気で向き合う姿勢など、音楽だけでなく心に響いてくるものがあると個人的に思います😶

好きな曲

めっちゃ悩みながら選んだ今のお気に入り曲たちを紹介します💁

1番好き▸「Without You
企画が好き▸「X You
歌詞が好き▸「Sunset Jesus」「Hold The Line

(青字の所YouTubeに飛びます)

 

歌詞が好きということで挙げた2曲はどちらも大きな夢を胸に走り続けている人物をテーマにした曲。

 

困難ばかりでボロボロだけどここで諦めるわけにはいかない、やるしかない。
ちょっと心が落ち着くまで待って、また前を向いて頑張るんだ!と自分を鼓舞する様子を歌詞に描いています。

 

Without You

好きな理由は特になくて、ほんとにただこの音楽が好き。

 

この曲から私が受ける印象を例えるなら、花火を見る時、流れ星のありそうな星空を眺める時のような、希望と儚さが入り交じるイメージ。

 

だから聞いてめっちゃワクワクする時と胸が締め付けられるように寂しくなる時とあって、タイミングによって受け取り方が変わるのでそこも楽しんでいます🙂

 

先ほど聞いたので今心がゾワゾワ・ワクワクしていますが、昔この曲を聴きながら夜中泣いたりしたこともあったなぁと懐かしいです。

 

X You

世界のミュージッククリエイター達からビートやエフェクトの提供を募り、Aviciiが一つの曲に仕上げる!という企画で作られた曲。

 

総計140か国、4199人のクリエイターから音源提供があったそうです。

 

グラミー賞を受賞したような世界的アーティストAviciiとプロアマ関係なくコラボできる、自分の音が使われなくてもMVに名前が残る、こんなにワクワクする企画あるんでしょうか…

 

そして4000人超のクリエイターが集まって、音楽で世界が一つになる。

 

その影響力、巻き込む力、全てがすごい。多くの人に夢を与えるって本当にすごい🌏

 

私も自分のクリエイトするもので人と人が繋がるような、ワクワクするような、そんな仕事がしたいなあ、と思わされる曲です。

 

北欧に行きたい!

スウェーデン行きたい!北欧行ってみたい!という話。

 

DJが生まれやすい風土でも存在してるのかと思うくらい、実は北欧出身の人が多いんです。

 

Avicii以外に好きなスウェーデンDJにはNOTDやAlessoがいます🇸🇪

 

そしてノルウェーにはRussという独特な文化があってEDMが身近な国だそうで、Spotifyの年末まとめの「あなたのトップ5ジャンル」に例年「Russelåter(Russ文化を盛り上げるため使われる曲のジャンル)」と出てくるのでちょっと気になっています🤔

 

ちなみに北欧に行きたい理由はAviciiや音楽に関する興味だけではありません。

 

・現地の人と「フィーカ」してみたい

・オーロラ見たい

・白夜や夏至祭を経験したい

・日本人と似ていると言われるスウェーデン人を見てみたい

・「フォルケホイスコーレ」に通って音楽や芸術を学んでみたい

 

ぱっと思いつく理由でこのくらいあります📝

 

この中で一番ハードル高いのはやっぱりフォルケホイスコーレ。これはデンマーク発の全寮制の専門学校みたいなもので、北欧ならではの教育システムです。

 

年齢の上限や国籍制限、試験もなく、ただ知識を求めて専門を極めるために通う大人のための学校。語学力を付けて一度経験してみたいと密かに夢見ています💭

 

こんな感じでいつか行きたい北欧への夢を潜在的に刷り込むため、SWEDE DREAMSと書いた紙を持ったAviciiの写真をここ数年ずっとホーム画面に設定中📱

きっと機種変する方が先だろうな笑

さいごに

久しぶりにAviciiの曲たくさん聞きながらブログを書きました🧑‍💻

 

DJしてる時の観客の一体感、自分の作品に人を巻き込む力、何より自分の世界観を音楽に落とし込む表現力がすごくて、ほんとにかっこよくて、Aviciiは憧れの人。

 

いや、まだ憧れの人とも恐れ多くて言えないくらい、最初の1歩踏み出したレベルだけど、これから頑張っていくんや🏃

 

自分にもっと自信付けて、手薄になってる英語とスウェーデン語かなんか現地語ちょっと勉強して、それで北欧行く!絶対行くぞ🔥

春分の日のブログ

今日は春分。祝日。

 

春分秋分は昼と夜の長さが同じ日として理科で習いますが、
祝日の由来って学校では習わないような気がします🏫

 

私も祝日は休みということに気を取られて、由来を気にしたことがありませんでした。

 

ですが、5/5の端午の節句など、祝日には日本らしさが現れていると改めて気付いてから、祝日のありがたみ?を増して感じるようになりました💭

 

ということで今回は春分秋分について書いていきます。

 

春分秋分の由来

そもそも春分秋分宮中行事の日。
新嘗祭勤労感謝の日みたいな感じで祭日です🎇

 

春分の日は春季皇霊/神殿祭、秋分の日には秋季皇霊/神殿祭という皇族の祖先や八百万の神を祀る行事が皇居で行われます。

 

長い歴史の中では春分秋分ではなく、命日に仏式の供養をするという、割と現在のスタンダードな先祖供養に近い行事だったようですが、明治以降春分秋分と日を決めて祭祀化・神式化したのが春季皇霊祭です。

 

とは言っても、正直一般庶民の私たちにはあまり関係ない遠い話のような気がしてしまいます。
なのでもうちょい深掘ってみたいと思います🧑‍💻

 

お彼岸と春分秋分

太陽が真東から真西へ一直線の軌道を描くのが春分秋分の日。
仏教では極楽浄土、あの世は西の方角にあるとされています。

 

そこで春分秋分の太陽の軌道になぞらえて、東にある「この世(此岸)」と西の「あの世(彼岸)」が最も通じやすくなる日と考えられました💁

 

日本ではインド式の仏教よりも先祖供養の文化が根強いので、あの世(=先祖)に繋がりやすい日と解釈され、お墓参りをする「お彼岸」という独自の風習が生まれたそうです。

 

じゃあお彼岸は春分秋分の当日だけでいいやんと言いたくなりますが、春分秋分の前後3日間という期間設定も仏教から来ています🍃

 

本来の仏教のお彼岸はあの世(彼岸)に辿り着くための「六波羅蜜」という六つの修行を一週間かけて行う期間とされていて、崩せない設定のようです。

 

お彼岸にお墓参りをする風習は日本ならではのミックス文化だったことがわかりました。

 

春分秋分の法律上の説明

内閣府HPの「国民の祝日に関する法律」を見てみると、

 

春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日

秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とあります。

 

教科書にも確かこれが書いてあったような気がしますが、これだけを教えられても抽象的すぎてピンと来ないよなぁ😵‍💫

 

色々な謂れがあるんだから、もっと詳しく教えてくれたらいいのにと思います。笑

 

さいごに

北欧ではミッドサマーやユールで夏至冬至を祝いますが、日本には特に大事な文化や行事がなかったので祝日制定はないようです🥺

 

春分秋分は昼夜の長さが逆転する境目。

 

他にも季節の境の「土用」、一日の境となる干支の「子」などがありますが、境目にはなんか特別な意味を持たせている気がします。

 

スムーズに次のフェーズに移行するために、境目は一回立ち止まって振り返るタイミングなのかな。

 

今日は今までの自分に感謝して、これから秋分までの間にどうなっていたいか考える日にしよう👀

 

春分秋分は祝日なのに、夏至冬至が仲間外れなのはなんで?って昔気になってたことを思い出して久々にリサーチ系?のブログを書いてみました📝

「心地良さ」を大事に

大事にしている価値観について。
難しいテーマだ。。。

価値観とは

まず価値観って何だろう。
改めて考えると難しいことばです🤔

 

価値観=価値基準/判断の元になる考え方となんとなく思っていましたが、
「価値観 例」でググると長所と似た言葉が多くて驚きました。

 

例えば、何事にも努力を惜しまない、人任せにはしない、自主的に意見を伝えるなど…これらも価値観と呼ぶのか…

 

実は間違った言葉の使い方をしていたのかもしれないと思い、意味をコトバンクで調べてみました🔍

 

「人が自分を含めた世界や、その中の万物に対してもつ評価の根本的態度、見方。」
『精選版 日本国語大辞典

「物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断。」
デジタル大辞泉

 

価値観=評価基準やモノの見方。大体合ってたかも。

 

そして、価値観という大きな括りの中に人生観、仕事観、恋愛観などがあると知りました。価値観と人生観は並列関係だと思っていたので…一つ勉強📝

 

言葉って適当に使いがちなので、
本編より先にまず「価値観」の意味を確認してみました。

 

大事な価値観を一言で

私の中で重要な価値観は
「心地良さ」です。

 

人間関係は自分に得をもたらす関係より話していて心地良い人を選ぶし、

学校/仕事ではステータスよりも内容や環境が私に合うかを重視する。

音楽なら、今ドハマりしている曲数曲しか入れないプレイリストがあって、一度ハマればそこに入れて飽きるまでリピートモードで聞く。

 

こんな感じで、私は自分にフィットするものを探し、ビビッときたものを狭く深く味わうタイプです😶

 

「心地良さ」をもっと言い換えると…

「快適かどうか」
「自分の心に違わないか」
「心地良い刺激を与えてくれるか」

 

自分にとっての快適だけを求めると自分の殻に閉じこもることになりますが、
これのミソは最後の「心地いい刺激を与えてくれるか」だと思います。

 

心地良い刺激というのは

・好奇心をくすぐる刺激
・夢のためのちょっとしんどい努力
・視界を開くような新たなセンスや価値観との出会い

 

こんな感じで、大体はワクワクに繋がる刺激です💡こんなんなんぼあってもいいですからね。

 

特に私は人をワクワクさせるようなものを作っていきたいと思っているから、
客観的な心地よさの感覚も掴んでいかなきゃならない。

 

快適な温室でヌクヌクしていたくなる自分ももちろんいるけど、
冒険することでしか得られない新しい心地よさを求めにいきたいと思っています。

 

インターンとのリンク

インターン先で「心地良いを大切にしよう」という話を何度も聞いていることを思い出しました。昨日のインターンでもその話が一瞬あったなあ。

 

「ペルソナマーケティング=ペルソナが心地良いと感じる状況を作る」だし、

「しっくりくる心地良い言葉を選んで文章をつくる」もそうだし、

「心地良いと感じる画像のバランスを考える」もそう。

 

インターン先の業務で大事にされていることと、私の価値観は結構重なりがあるんだ、とこのブログを書きながら気が付きました🤔

 

私が大事にしてる「心地良さ」の価値観をより柔軟に、強みにしていけるよう、インターン頑張っていきたいなと思います。

 

今日は価値観についてでした🧑‍💻

 

改行の仕方を少し広めに変えてみたけど読みやすいのかどうか…
まあ色々試してみます( ͡° ͜ʖ ͡°)